永遠の仔

今日は自分にとって、休日の朝

 

雨降りの肌寒い日曜の朝

 

 

 

急に想い出しました。

昔読んだ、ある小説のことを。

 

天童荒太さんが書いた『永遠の仔』という物語です。

 

 

 

 

1999年に刊行されていて、単行本を購入し読んだ記憶があります。

まだ、その頃20代であった自分には、とても衝撃的で重い内容の長編ミステリー小説でした。

 

テレビドラマ化もされて、私も全て視聴しました。

中谷美紀、渡部篤郎、椎名桔平、石田ゆり子、古尾谷雅人 他

実力派の俳優陣のよる熱演。

 

 

もうずいぶん前に読んだので、うろ覚えです。

あらためて関連サイトをのぞきながら、想い出しつつ、あらすじを書いてみます。

 

 

 

3人の主人公は、子供の頃からあらゆる児童虐待を受けてきました。

 

 

主人公で唯一の女性。
久坂優希は、実の父親から性的虐待を受けてきます。
そのことに苦しみながら自分をけがわらしい者と思い続け、母親との感情の葛藤に苦しみます。

実は、母親は自分の夫が我が娘へ性的虐待を続けていたことを知りながら、止められずにいます。
母親自身も深い闇を背負うことになります。

 

 

長瀬笙一郎(モウル)は男遊びがさかんな母親からネグレクトを受けてきました。
母親を愛しながら、自我を保つための苦しみを抱えながら生きていきます。

 

 

有沢梁平(ジラフ)は母からたばこを体におしつけられる身体的虐待を受け続けてきました。
その恐怖の体験の連続から恐怖症を患ってしまいます。

身体記憶の恐怖は、その後の自身の人格形成、対人関係(物語では、恋人との関係性で顕著に描いていきます)に影響を与え、蝕んでいきます。

 

 

3人は、1979年に瀬戸内海の小島にある精神科病棟で出会います。

院内学級で小学校時代を過ごすも、3人の決断によりある事件が起こります。

 

優希の父親が滑落死を遂げる事件が発生し、3人は離散することとになりました。

 

ところが、その18年後の1997年

社会人として過ごしていた3人は、川崎市内で運命的な再会をすることになります。
そして、その再会によって、再び事件が起きていきます。

 

 

成人後、社会の一員として、それぞれに生活をおくる3人の日常とその心の機敏。

ミステリーとしての謎解きの醍醐味もありながら、飽きずに読み進めることが出来る小説です。

周囲の人々の対応、心模様も丁寧に描かれています。

 

 

賛否両論が渦巻いた小説ですが、自分にとっては未だ心に残る物語でした。

 

 

この物語ほど極端な例ではないかもしれませんが、自分が知っている人たちにも、少なからず、自分のルーツとなる、親との関係性に苦しんできた。

そのような方が何人もいらっしゃいます。

 

 

恥をさらすようですが、自分の中にも、幼少期に残っている負の感情は未だ存在しています。

虐待などを受けたわけではありませんが、ずっと心に残ってしまうような体験はありました。

 

そのことを想い出せば、平静でいられない感情が起こる自分もかつてはいました。

 

 

まぎれもなく、誰もが、自分の肉体は両親から産まれてきています。

 

本当は愛さずにいられない親への愛情を認められない。

そんな感情を抱えた、こどもの心は、いったい。

どんな気持ちなのか。

 

 

大袈裟ではなく一生を賭して向き合わざるを得ない。

それを望むものは誰もいなくとも、運命を呪ってもです。

 

 

人知れず、そんな想いを抱えて生きてきた人と出会うたび、切なくなります。

では、同情と憐れみの感情が湧くのか。

 

 

その人の乗り越えてきたものに、その力に、感動する自分がいます。

 

 

必ずしも苦しみや辛い経験を体験した方が良いかと言えば、そうだとは思いません。

それでも、苦しみや葛藤を超えてきた人間だけが得られるものの輝きが在ること。

それは、真実です。

 

 

 

 

恩寵を得るとは、そのような思考も感情も記憶も超えていくことになります。

 

 

 

ぼくは、自分がふれられる人々に向き合って、自分が伝えられうる、すべて伝えていきたいと感じている。

そんな自分が、いま、確かに在ります。

 

 

 

言葉で書くと、伝えると、まどろっこしいし、カッコつけしいになります(笑)

 

 

うまく伝える手段が見つからないので、

人はそれを言葉でね。

 

 

「愛」と書いたり、「友情」と言ったり、「光」と例えたり。

 

 

それらは、

自分の中に、確かに“在ります”

 

 

う~ん、日曜の朝から、なんでこんな文章になった(笑)

 

 

 

この曲を聴いていたら、このブログを書いていた自分がいます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=MVVQynaCOYg

 

 

世界中がHappyでありますように♪

 

親子の関係性を勘当同然でほぼ絶っている友人が何人かいます。

 

夫婦の関係性を解消し、離婚をした知人も何人かいます。

 

とても仲の良かった親友と付き合いをやめてしまった知り合いの人たちもいます。

 

お子さんを病気や事故で亡くした友達もいます。

 

 

 

人生の場面では、様々な形で人と人の状況や関係性が変わることがあります。

出会いもあれば、別れもあります。

 

 

 

誰も本当には、個人の心の中の思考を共有することは出来ませんが、

それでも、人は誰もひとりでは生きていけません。

 

 

 

人とのかかわりの中でしか生きつづけることは出来ないのです。

 

 

 

戸籍上の関係がどうであろうが、

婚姻届けがあろうがなかろうが、

血がつながっていようがいまいが、

 

 

いつでも、人は関わりを持つことも、解消することも可能です。

 

 

本当は、生きとし生けるものはすべて自由です。

 

社会的制約がある中で生きていてもフリーです。

 

 

ゆえに、制度や風習、社会常識、通念を超えたところでつながる、

つながれる、つなぎ留めずにいられない関係性

 

 

いつでも、離れられる。

されど、付き合い続ける関係性。

 

 

 

 

それが、本物の絆なのではないか、と感じています。

 

 

 

嫉妬の感情の出来事に遭遇したお話を聞かせてくださったクライアントさんがいらして、

そこから、今、何を感じ取り、お伝えするべきかを考えていたとき、

絆、という言葉が浮かびました。

 

 

今夜、見えられた2回目のクライアントさんとの対話で、

もう少し先にあるものも感じ取りました。

その話は、整理がついたら、書こうと思います。

 

 

 

 

今ある自分の足元だけではなく、少し高い位置から下方を眺めてみる心持ちで。

そんなことをお話ししたとき、お顔に小さな灯がともるのが見えてくることがあります。

 

 

自分の目の前で、人の心に小さな灯がともる瞬間を見るのが好き

 

 

その時だけの刹那

それでもその瞬間の絆は本物だと僕は信じています。

 

 

 

山崎まさよし / 心拍数

 

世界中がHappyでありますように♪

幸福論

しあわせの形って何かな?

 

 

クライアントさんや整体仲間の先生、あるいは、全く異なる職業の方々との交流を通して、その会話や一緒に過ごした時間の中で、ふと感じました。

 

仕事、お金、趣味、旅、ペット、運動、読書、映画、アート、音楽、食べ、呑み、・・・人、物、こと。

 

何が好き、誰が好き、何がしたい、何がしたくない。

 

海が見たい、山行きたい、川に入りたい、湖が好き。

 

丸が好き、四角が好き、三角が好み、∞(無限大)がラブ♪

 

白が好き、黒が好み、赤が好き、青が好き、黄色が好き、緑が好き、金、銀、銅

 

カレーが好き、ラーメンが好き、ステーキが好き、サラダが好き、アイスが好き

 

自分が好きなことって、本当はなんだか知ってる?

 

 

 

今、出会ったアジャシャンティの本をきっかけに、コントロールをできないことに深く思いが至る。

 

起きる出来事

浮かぶ思考

湧き上がる感情

 

それらは決して、自分が想い描く幸せなストーリーになるとは限らない。

 

“思考は現実化する”

 

昨今流行っている言葉ですが、真実でもあり、それは違ってもいる。

 

 

 

何度も何度も、人はやりなおせる。

学びなおし、一歩を踏み出せる力を持っている。

 

 

 

思考を超えたものがあります。

その思考を超えたものは、理屈抜きで感じます。

それを感じることは、コントロールできない。

 

 

そのことを理解しながら、それでも試行し続けるのが人間。

なので、思考と感情の動きに抗わない。

 

 

起きてくる出来事にコントロールをしようとしない。

すれば、苦しみや葛藤がふえていきます。

 

 

もちろん、生活しやすくするためのテクニックは大切です。

だから、思考も大切。

思考し、工夫を重ねたことで、文化が生まれた。

 

 

 

1000年先には、今現存するものは、ほとんどが消えてなくなる。

それでも続く生命の営みは続いていく。

 

 

すべて幻でもあり

そのすべてが価値ある、愛おしいものでもある。

 

 

人は、いつでも死への一歩を踏み出しています、毎日。

それでも、命のバトンをつなぎ続ける。

 

 

 

今、このブログを書いている休日の朝

 

僕の横にいつの間にか、6歳の娘が立っていて、

お笑いタレントのような変顔をしている(笑)

 

笑顔を返すと、ほっぺにキスして、笑顔で去っていった。

お転婆で手に余るけれど、好き

 

 

こんな些細でちっぽけな日々の“いい感じ”をつみ重ねていく

これが、僕の幸福論

 

 

思考が描く理想には程遠くても、100年先の遺伝子たちにつながるものを

そう思って生きていくのも悪くない

 

ちょっと、キザですね(笑)

 

 

福山雅治 「幸福論」

 

 

世界中がHappyでありますように♪

星のかけらを探しにいこう

毎年夏の終わりころになると、思い出して聴く曲があります。

 

福耳の「星のかけらを探しに行こう」

 

もう、16~17年前にリリースされた曲で、その年のLIVEを友人たちと連れ立って観に行った記憶があります。

 

バービーボーイズの頃から一段と、ハスキーで切ない杏子の歌声と山崎まさよし、スガシカオの絶妙なハーモニー。

未だ、この季節になるとFMラジオで時折かかる、ステキな名曲です♪

 

 

「福耳」は、その後、才能豊かなアーティスト達が加わり、「惑星タイマー」などのステキな曲も生まれていきますが、私の中で、福耳というとこの三人のアーティストの思い出が強い。

 

福耳の5年ぶりの新曲も発表されたようです。

 

 

 

「星のかけらを探しにいこう」は、調べてみると17年前の1999年のリリース。

 

ということは、私は、26歳・・・今考えると、まぶしい若さ(笑)

 

そして思うことは、何も変わっていない自分・・・当時の自分は今の歳の頃もっと進歩していることを思い描いていたはず。

 

それでも、本当にそうなのかな、なんて思う。

 

いつでも、自分の将来を大きく描いて、その年齢になったら立派になってるなんて錯覚している。あるいは、都合の良い未来を思い描きすぎている。

 

ときおり忘れる。

今をまっすぐ生きた結果が、未来(あした)につながっていることを。

 

 

夢は、睡眠中ではなく、起きているときに見なくては。

 

 

 

今日、男性クライアントさんにお話ししたのは、自己評価が低い人が多いということ。

今の日本の社会で生活していると、子どもの頃から自己評価が下がるような事象にばかり出会う機会が満載・・・ちょっと日本語が乱れた・・・でも、そう感じる。

 

 

 

誰もが、自己承認欲求を持っている。

人間として生まれてきた限り、自明のこと。

 

親でも、恋人でも、親友でも。

なにも求めず、ただ、自分のことを想ってくれる人がひとりいれば、人は生きていけるのでは。

 

 

そして、その先にあるものを死ぬまで見つめようとするから、人生は美しい。

 

 

だから、舟に乗って、願い忘れたことを抱えて、星のかけらを探しに行こう!

いい歳したオトナこそ♪

 

 

夏に聴くたびに、恋の曲なのに、それだけでなく、まだ、人生これからなんじゃない?・・・なんて、気持ちになる。

 

そして、何となく切ない気持ちを思い出させてくれる、この曲がとても好きです。

 

 

星のかけらを探しにいこう

 

 

世界中がHappyでありますように♪

 

 

禅~空を生きる~

自分にとって、2冊目となる覚者・アジャシャンティの著作です。

 

『禅~空を生きる~』

 

 

昨夜から今朝にかけて、読了。

 

少し前にブログでも感想を述べた『あなたの世界の終わり』を読み終えたタイミングで、

さらに、この本を読了したことの幸運を今かみしめています。

 

 

本で、これほど魂が揺さぶられたのは、生きてきた中で、本当に初めてのことでした。

 

 

20代前半、一年ほど仕事もせず、実家でプラプラしていた時期がありました。

その時期は、ひたすら本を読みまくっていました。

 

小説からむずかしい政治や哲学の本も背伸びして、
毎日、5~6冊くらいのペースで手あたり次第。

 

結論は、本を読んでもご飯は食べれず、帆は進まぬ。
なんでもいいから、リアルに生きたいと思ったのです。

 

それからも本は読みましたが、それほどのめり込むことはなくなりました。

 

 

先日、アジャシャンティの本を薦められて、読みだしてから文字通り“集中”しました。

 

 

全23章からなる本作で、アジャシャンティは、生きることの本質をみごとに
語りつくしてくれています。

“目覚め”について

“悟り”について

こうした表現自体を彼は本質ではなく、言葉の定義に過ぎないと指摘するはずですが。

 

おそらく、“頭で理解”することは可能です。

 

 

それを肚の底から腑に落とせるかどうか?

本当は落とせなくてもいいのかもしれません。

 

 

 

この本を読み、本質的には、“目覚めの途中”というものはあり得ないことに気づく。

 

 

そこにあるのは、

 

“目覚めているのか”

 

“目覚めていないのか”

 

それしかないこと。

 

 

 

今朝、家の庭で、立禅をしていました。

 

禅に没頭していた5年間、“何かを得る”ために自分は“それ”をしていました。

 

 

禅や瞑想は、何かを得るために行えば、それは一つのエクササイズにしかなりません。

 

 

集中力がついたり、気功や手当ての力が増したり、内臓が強まったりします。

変な話ですが、男性であれば性的不能などとは縁がなくなるくらい、生命力も上がります。

女性であれば、お子さんも授かりやすくなると思います。

病気がちの人は元気になっていくと思います。

 

 

けれど、それは本質ではありません。

 

 

3年ぶりに立禅を再開して、数週間が経ちました。

今は、何の目的でもありません。

 

 

ただ、立って禅を組んでいます。

組みたいときに、組みたい時間、組みたい姿勢で

ただ、“それ”をしています。

 

 

 

“目覚め”や“悟り”を体験したかった頃、いくつかの高揚感や一体感を味わったこともありましたが、

それは、今は違うものだと理解しています。

 

 

 

今朝、この本を閉じて、立禅を終えて修功(気を入れる動作)を終えました。

そして、足元で踏みつけていた雑草や土

その下で、踏んでしまったかもしれない昆虫

 

 

 

これらが目にとまりました。

 

 

 

 

自分は、蚊やハエを手で払って潰したとき

あるいは

肉や魚を食したとき

 

 

子どもの頃からよく思っていたことがありました。

この生き物たちは、自分に殺されるために生まれてきたのかと。

 

それは、大人になり、相変わらず、そうしたことをしながら生活をしている状態でいても、

変わらず思っていました。

 

 

 

今朝はちがっていました。

自分の中に、別の感覚がありました。

 

 

自分に踏まれる前の草も、踏まれた後の草も

自分の手につぶされてしまった蚊、その前の飛んでいたときの蚊

 

 

そこには、本当には違いが無いのだと。

 

 

とても、言葉にするとおかしな表現になっていることは、

よくよく解かっています。

 

 

それでも、正直に書くとそう思ったのです。

悟ったでもなんでもないのですが、

そう感じました。

 

 

そして、目覚めや悟りが、どうでもよくなりました。

そこに意識を向けるより、今を感じたい。

 

 

 

自分が死ぬと解釈するとき、つまり、肉体がこの場から葬られるときに

亡くなることはすべて幻

 

 

富も名声も地位も立場も、その他、有形・無形の自分が所有していると思い込んでいるものすべて

自分がこうだと思っている自分

他人から思われている自分

自分が思っている他人

他人が思っている他人

 

 

肉体の消滅とともに消えていくことは、すべて存在しないことと同じ

 

 

おそらくアジャシャンティが云わんとしていることは、
このことではないのだろうか。

 

 

では、生きていることは無意味でしょうか?

 

 

まったく違います。

それ自体が、すばらしく、すごく、とても価値のあること。

 

 

 

自分がかかわる事柄

特に、人との出会い、かかわり

 

 

周囲の人たちとの関係性はもとより

親子、兄弟、夫婦、恋人、友人といった身近で切実なる人たち

 

 

そのどの関係性も、今のそのまま、未来永劫変わらぬものなどあり得ない

 

 

 

明日どんな未来が待っているのか

本当は誰にも分らない

 

 

 

実は誰にもわからないことを、潜在的に、誰もが知っている。

ゆえに、人は安心や安定を求める。

 

 

 

宗教や哲学

政治やアート

スポーツや武道

倫理や道徳

 

 

 

そして、

家庭やコミュニティ

 

 

 

 

いまここ

 

 

 

 

それ以外にとらえることはできない

変わらぬものはない

 

 

 

今、腑に落ちたことは、このことだけです。

 

 

 

起きている、あるいは、起きてくる流れに逆らわないこと

 

 

沸き起こる思考や感情にフタをしないこと、

目をそらさないこと

 

 

常に変化する思考と自分を同化しないこと

 

 

自分に都合の良い幻だけ見つめず、真実を見つめ続けること

 

 

本心(真実)に忠実に生きていくこと

 

 

 

 

 

 

明日も世界中がHappyでありますように♪

 

 

 

夢中

昨日からプチ夏休みを頂いています。

 

昨日午前中から人身事故で遅延気味の小田急線に乗り、長女と西新宿へ

 

新宿村スタジオで、バレエの特訓です。
もちろん、私ではなく娘の(笑)

 

午後イチから夕方まで、中国、香港の指導者、出演者らとともに踊り続けたようです。

 

その間、ラウンジでアジャシャンティの『禅』というホントを読み続けていました。
途中、ウトウトしつつ・・・(^^;)

 

 

最後は読書も飽きてしまい、ラウンジで人もほとんどいなかったので、
立禅(気功武術の訓練法)を始めてしまいました(笑)

ラウンジでは踊り禁止と書いてあるのですが、若者たちが何気に踊っているので、
ただ、立っているだけの怪しい姿でも、それほど怪しむ人もおらず、良かった。。。

 

 

娘は、バレエの踊りに夢中

 

私は、読書に夢中

 

 

夢中なので、終えてみると疲労があるのですが、元気ではある。

 

人は好きなことをしていると、元気です。

 

 

 

練習終えて、娘と、そのバレエ仲間の女の子と3人で新宿村近くのビルで夕食♪
お友達は親御さんの確認を取っていないので、ブログ用写真はよけてもらいました(笑)

 

子どもは元気!
好きなことをやっていれば、数時間踊り続けた後でも、笑顔で楽し気に話しています。

 

さすがに、帰りの電車では、座れてほっとした顔をしていた、小学生の女子2名(^-^)

 

 

今日は、船堀で国際色豊かなバレエの舞台に、長女の所属するスクール団体も
ゲスト出演。

 

朝早く娘を駅まで送り、小中学生だけで都内へ向かいました。
自立を深めていく子どもたちを見ていると、成長はあっという間。

 

子どもは成長が早いといいますが、不惑を超えたオッサンだって負けていられない♪

 

自分も9月から、新たな学びを始める予定です。

 

5年間取り組み、3年間空白にしていた立禅などの身体基礎訓練も
再開してはや一ヶ月

 

 

元々自分が持っている基礎

そして、新たな体験

 

 

と、書くと、今の気づきを書き留めておきたくなりますが、
長くなるので、この辺で。

 

 

最後に、アジャシャンティを読んでいるうちに、

再び引き寄せられた野口晴哉の一文

 

 

『風』

太古の始めから風は吹いていた

つづいて今日に至る迄

風は吹いている

今日の風も

太古から吹いていた風だ

 

 

 

 

どんな出来事が、おとずれようと
いつも、風は同じように吹いています。

 

 

人が進む道もみずからが思うがままです。

 

 

娘の舞台、楽しみです。

 

雨降りの日に思い浮かぶナンバーを♪

言ノ葉

https://www.youtube.com/watch?v=DHdi6HhbvfQ

 

 

今日も世界中がHappyでありますように♪

 

 

 

あなたの世界の終わり

副題【「目覚め」とその後のプロセス】

アジャシャンティというアメリカの覚者と呼ばれるスピリチュアルティーチャーの著作です。

 

 

この本を読んでいただくと分かりますが、
一般的に云われているスピリチュアルのイメージとは異なる感触。

 

翻訳者の苦労が見て取れるほど、もともと言語化しにくい内容を
さらに日本語に訳したものを読む

 

ハマると読むのは早いという自覚がありましたが、
この本は一週間くらいかけて、毎晩ゆっくり読み進めました。

 

昨夜、読了後、時計に目をやるときっかり午前0時!

 

 

 

 

俺もちょうどこれ読んでた〜

 

この写真とともに、Facebookにその旨、UPしたところ、
読み終りに近いところで、なぜか顔が浮かんだ、多次元操体法の創始者
上川名先生からコメントが届いたので、さらに驚きました。

 

尊敬し、お世話になっている先生ですが、
別にいつも顔が思い浮かぶほどの怪しい間柄ではありません(笑)

 

これもまた、“シンクロ”です。

 

 

言葉にすれば簡単ですが、「目覚め」や「悟り」について、
言葉にできうる範囲で詳細に書かれた本です。

 

 

思い込み、罠

マインド、ハート、腹

恩寵

 

ある段階を体感すると気づき、悩み、葛藤する場面に出会います。

すべてを体験しているわけではない自分には、本の中に書かれていることは、
途中から想像の世界でしかありません。

ただ、アジャシャンティが冒頭に記している、「一瞥」は体験、体感があったので、
今の自分に必要と判断して、本を貸してくださった方の慧眼には、
改めて驚かされ、感謝しています。

 

 

自分にとっては、とても大きな出会いとなった本ですが、
特に、しみこむ言葉がありました。

アジャの言葉を引用します。

 

 

私が悟りの定義で最も好きなものの一つは、数年前に亡くなったアンソニー・デ・メロというイエズス会の牧師から来ています。
誰かが彼に、彼の悟りの経験を定義してくれるように頼みました。

彼は「悟りは、不可避なことに絶対的に協力することだ」と言いました。

私はこの定義を愛しています。なぜならそれは、悟りを単に理解として定義するだけでなく、活動としても定義しているからです。
私たちの内部のあらゆることが、生の流れそのものの避けられないことと協力しているときに、悟りはあるのです。

 

 

この行間が、自分の中に深く深く入り込んできました。

アジャシャンティは、「目覚め」や「悟り」というものが、
本来、言葉で定義できないことを知ったうえで、あえて語っています。

目覚めや悟りが、すごろくでいうゴールであって、
そこはパラダイスであるという思い込み

そうではないと分かった時、どうしてよいのか分からずにいる時、
とても大きな助けとなる本です。

 

少なくとも、自分にはそのような本です。

 

ここが存在すべき唯一の場所

 

この感覚の大切さを味わい始めたばかりの自分がいます。

 

雨に唄えば , Singin’ in the Rain Theme song

 

今日も世界中がHappyでありますように♪

おそれ

クライアントの皆さんから、よく言われることがあります。

 

「先生はいつも穏やかで楽しそうで、ニコニコして迎えてくださって、悩みが無くて羨ましいです」

 

「ここへ来るとホッとして安心して、つい寝てしまう」

 

「石井先生には、なんでも話せます。聴いてください・・・。」

 

「先生に会いに来るのが楽しみで来ているんです」

 

 

 

みなさんから、このような言葉をかけてくださり、私もとても嬉しく思います。

 

 

ただ、本当はそうでもないのですよ(笑)

私も人間です。

日々、悩んだり葛藤があったりします。

 

 

クライアントさんは、何度か来てくださるうちに次第に元気を取り戻してくださいますが、
初めは何らかのお体の悩みを抱えていらっしゃいます。
そこで、迎える人間が平静でいなければ、
弱っていらしてくださる方の寄りかかる場所が見つからなくなってしまいます。

 

 

仲間にも、すばらしい人間性と腕前をお持ちの先輩の整体師の先生方と話していても、
みなさん、おっしゃいます。
いつも葛藤を抱えながらも、クライアントさんと真っすぐに向き合っている、と。

 

そうなんです。世に言われる名手と呼ばれる治療家でも内面は揺れ動いています。

 

それを人前で見せないだけなんです。
これは、整体の世界だけではなく、すべての世界にあてはまること。
才能の輝きがあふれるばかりのトップアアスリートでも、
音楽センスあふれるアーティストであっても。

 

 

では、どうして悩みや葛藤が生まれるのか

そして、人は苦しんだりするのか

 

 

それは、自分の本心と、自分の行っていることに、
齟齬や分離が起こっていることに他なりません。

 

そこで、人は苦しみます。

 

みな、社会の一員です。

仕事場で、家庭で、地域で、何らかの役割や地位を担っています。

小さな子供のように、

好きとキライ

やりたいとやりたくない

嬉しいと悲しい

 

本当はそうしたいことを自由にできるはずなのに、
必ず思考はブレーキをかけます。

本当はこうしたいけれど、すれば、何かが起こってしまう。

精神世界やスピリチュアルなどをご存知の方は分かると思います。

 

 

“おそれ”です。

 

 

そこから、いったん逃げ出すことは可能です。
しばし、正面切って向かい合うこと避ければよいからです。
ほとんど誰もが無意識にそうしているはず。

 

自分自身を守る手段と思えるからです。

 

ただ、

“おそれ”には向き合わざるを得ない場面が必ず起こります。

他の誰でもなく、自分の内面に向き合うことになります。

 

 

自分がそうしたいことにブレーキをかけているのは、
他の誰でもない自分自身だからです。

 

まんまでは、表現できないとき。

そこで、悩みや葛藤が生まれます。

赤ん坊のように泣けないから、苦しんだりします。

 

 

大きな使命と向き合い成し遂げるとき

 

人を好きになり想うとき

 

子どもを守るとき

 

家族の無事を祈るとき

 

 

それら、魂が突き動かされるような衝動がわいてくる場面で、
人は、本物の想いが沸き立ちます。

 

 

操体法や野口整体、あるいは、東西問わず世界中の自然法則に即した整体法は、
この感覚の解放と展開を手助けするためにあるのかもしれません。

 

 

身体を使って自己と向き合うことで、内面の真性も手繰り寄せている感覚
なので、治療法ではなく、整体と呼ばれる所以です。

 

 

すべてを思った通りに実現できなくとも良いのです。
人は社会性の動物であるからこそ、そうしたケースの方が多いかもしれません。

それでも、焦らず、正面から自分に向き合えれば、道は開けます。

ブログをお読みいただき、メールやメッセージを下さるみなさんへ

どうも、ありがとう!

悩まれているのは、真っすぐに自己と向き合おうとされているからですよ。
自己の日々に向き合っている証。

ご縁を頂き、嬉しく思っています。

 

悩みも葛藤も、誰もが抱えて向き合っています。
自分も同じですよ(^_-)
今日も一緒に、悩みも葛藤も抱えながら、楽しんで生きていきましょうね♪

 

暑さが戻ってきた夏の夜

「シャーベット・・・」から始まる涼やかだけどもの悲しい、大好きなナンバーを送ります

エンドロール/秦基博 (弾き語り)
https://www.youtube.com/watch?v=tRProulXJCk

 

 

明日も世界中がHappyでありますように♪

 

 

月夜

今日は終日お休みにして、朝から埼玉県の新河岸駅へ学びの旅へ向かいました。

 

夕方秦野へ戻り、ソウルメイトと月夜のドライブへ♪

地元の山の上で、買ってきた手作り品の夕飯を囲んで、楽しく時を過ごしました。

 

まあるいお月様に、蝉の声

 

暗いので写真もうまく撮れず。

 

山で街頭もないところでしたが、月が照らし続けてくれていて、

明かりも必要ありません。

 

黄色というより、白といった方がふさわしい様な美しい月の光に、ただただ、月の横顔に見惚れていました。

 

月明りには、おひさまとは違った優しさがあります。

 

温かく照らす太陽の光とは違った、けれど、とても心地の良い光を放ってくれている。

 

すべて見透かされるような、その光に照らされた自分をかえりみると、とても小さいけれど、確かに躍動している命に気がつきます。

 

心地良く夜風に吹かれながら、食事を楽しみ、月を見つめながら、まだ、これから始まる自身の宇宙を感じながら。

 

帰り道、しばしの山下り

 

ただ、幸福の道のり

 

歩く一歩ごとに、生きている実感を思い出すような歩み

 

高台から見つめる街並みとその明かりは、すごく綺麗でした。

 

また、日付が変わり、新しい時間を刻んでいきます。

 

すべては、ご縁とつながりで味わっている

 

生きて、体験できている幸運に感謝しながら

 

今、すべてはここにあるから。

 

 

今宵の月のように/エレファントカシマシ

 

今日も世界がHappyでありますように♪

 

2017年8月6日 | カテゴリー : ライフ, | タグ : | 投稿者 : masabud-dha

恩送り

昨日のブログで少し取り上げさせていただいたお話。

 

私のブログをお読みいただき、メッセを頂き、それがご縁でメールのやり取りをさせて頂いた北海道の女性のこと。

 

まだ、お会いしたことのない私を信頼してくださり、整体や治療に関するご相談を受けました。

 

何度もお手間を取らせて申し訳ないので、そのお礼がしたいとおっしゃってくださったので、福島の被災に合われた子供たちをサポートし続けている秦野市のプロジェクト団体の支援金として受け取らせていただきました。

 

そのお話について、

福島県南相馬市と神奈川県秦野市をつなぐ
未来 kids project
の活動をされている、福嶋さんがFacebookに取り上げてくださいました。

https://www.facebook.com/hideki.fukushima1/posts/1584713424918107?ref=notif&notif_t=feedback_reaction_generic_tagged&notif_id=1501765016963361

 

 

今回ブログに書いたのは、この北海道の女性にきちんとしたプロジェクトに、ちゃんとお渡しします、というご報告のためでした。

福嶋さんもきちんとした方なので、取り上げてくださった形です。

そして、“恩送り”という言葉も自分に思い出させてくださいました。

 

 

そして、北海道の女性 Y.Fさんから、ご丁寧なメールをいただきました。

お人柄が伝わってくるステキ文面でしたので、ご本人の了解を得て、載せさせていただきます。

 

 

 

石井先生こんにちは。
ブルグを読ませていただきました。
ブログに取り上げて下さったこと、先生の深いお気持ちが伝わってきました。

何だか先生のお人柄に感動してうるっとしてしまいました。

こんなに素晴らしい人もいるんだなぁと率直に思いました。思い切ってメッセージをしたことで

先生とお知り合いになれて本当に良かったです。

ブログの内容も衝撃的でした。
潜在意識・・・私は殆ど意識した事は無いのですが、無意識に潜在意識で

動いていたり、生かされているってこともあるんでしょうね?

このところフッと今までに無かった思考とか感情が湧くことが有ります。
あれ?これは何だろう?みたいな。 たまにですけどね?笑

もしかしてこれが先生の仰る潜在意識なのかな?と今思いました。

とても不思議な感覚になります。

もしかして外出を取りやめた事でトラブルや事故などから回避されたのだとしたら
先生、良かったですね! 何事もなくて。

きっと何かの大きな存在が守って下さったのですね?

シンクロのお話にも何かの大きな縁を感じます。

このご縁に感謝してこれから佐野元春さんや浜田省吾さんの歌を聴きます私。(^^♪

元々この時代の曲も好きなんですよね^^

最近ハマっているのがJ-Walkの「何も言えなくて…夏Lyrics」です。♫

大ヒットした曲なのでもちろん知ってはいましたけど、今の私だから惹かれる

のかも知れません。歌もアレンジも聴いていてとっても心地いいのです。

今日は〇〇は過ごしやすくもう秋の気配がします。
簡単ですが感謝の気持ちを述べさせて頂きました。
またいつの日か快復状況をお知らせさせて頂きますね?

もっともっと良くなってご報告がしたいです。

石井先生、お忙しい中お時間を頂きまして本当に有難うございました。

先生もお身体ご自愛くださいね~^^

すてきでしょう?
こちらこそ、ご縁を頂き、ありがたい。
 ちなみに文中の潜在意識の話は、同じブログ中で書いたことを取り上げてくださったようです。
「恩送り」
いい言葉です。
恩送りのくり返しで、どこかで誰かが笑顔になっている。
そんなことを想像するだけで、なんだか、それだけで
生きていることって、悪いことばかりではない気がするんです。
地位や名声、お金や物や土地、仕事にやりがい
生きていくための活力になる、すべて良いものです。
ただ、それだけじゃないんです。
 「魂の時代」
使い古されたクサい言葉ですが、誰もが本当はそこに気がついている気がします。
人の本質は、自分ではない誰かの笑顔を見ていたい。
これではないかな、なんて偽善者の僕は思う(笑)
世界は、愛で出来ているんだって!
Change the world    エリック・クラプトン
今日も世界中がHappyでありますように♪